輝け!相互依存主従
依存や共依存という言葉は
この世界で沢山使われていますね。
深い繋がりのような甘美なイメージに
憧れを持つ従者さんも多いのかもしれません。
依存・共依存は本来は病理的な問題ですが
依存の重さや捉え方、向き合い方など
互いの関係性の認識で変わると思いますので
負としては一括りにできないのかなぁと思っています。
お互いがバランスを取れていて
心身健やかで
周りに迷惑をかけてないのであれば
依存でも共依存でも良いのかもしれません。
しかし。
私は自分に対しては
依存・共依存にはとても敏感です。
もう何度かここに書いてますが
私はこの病的嗜癖に
大いに苦しみ生きてきました。
その原因は自分の主体性の弱さからくる
人格の偏りです。
もう二度と戻ってはいけない道だと思っています。
でも今も寛解したわけではなく
そちらの方へと傾きやすい
自我の弱い性格だから
自己俯瞰することを心がけています。
私の心身にとっては
共依存=健やかではない状態だからです。
支配と服従は
Sub側の主体性をDom側に委ね、
支配の下に自分の身を置くことで
安心と幸福感など得られる関係です。
私も主様の支配の中で、
魂(精神)を隅々まで注ぎ込んでいただき
安心安寧の精神でいさせてもらってますが
それと並行に自立と自律心を育てています。
私たちは師弟のような関係でもあります。
調教は性的な云々ではなくて
私のアイデンティティの再構築。
教えは主様ですが、築くのは共同作業です。
自分が生きる道は委ねずに
私自身が育ち、歩かなくてはなりません。
主様=私のアイデンティティ
となってしまっては本末転倒なのです。
極端な話ですが、
主様と永遠のお別れとなってしまった時、
哀しみや喪失感は計り知れないでしょう。
でも、そこでまた自暴自棄になったり
根無し草になり
"空っぽのわたし"しか残らなかったら
主様はきっと悲しまれます。
今までの教えや主従の築きは何だったのか
と嘆かれるでしょう。
だから簡単に
"主様がいないと生きていけない"
とは言いたくないのです。
そのために今、強い精神力を
養ってもらっています。
主様の人間力や深い愛を
魂レベルで刻み込みたいと思っています。
主様とは魂の伴侶になれると信じています。
互いの姿は見えなくても
心で存在しあって
直接的な触れ合いがなくても
繋がって健やかでいられるように。
それが精神の結びつきだと思っています。
私たちの理想の関係は
相互依存&相互補完関係です。
相互依存とは
自立&自律している者同士がお互いを尊重し、
支え合うことができる関係のことをいいます。
名前は共依存と似ていますが
意味は異なります。
詳しくは調べてみてくださいね♪
とっても素敵な関係なんです。
私と主様はその形に日々
近づいていっていると思っています(*^^*)
私達は
今ある人生を更に豊かにしていこう
という目標を掲げて
一年前、主従を結ぶに至りました。
QOLの向上です。
相手の存在あっての自分という意味では
二人で一つなのですが
互いに自律しあい尊重しあい
共栄していきたいと願っています。
* * * * * * * * *
〈心の弱き人間が希望や幸福について語り出すと
途端に胡散臭くなるであろう日記〉
2018年12月
私ね、すごく偏見を持っていたんです。
信仰宗教に。
宗教は心の弱い人間が縋るものだろうって。
でも
ちょっと 待って。
よく考えたらね
心の弱い人間ってさ....
私のことだよっ(°▽°)
目にも見えない、
触れることもできない存在に対して
何故 わざわざお金を払って
傾倒するのだろうって今まで思ってた。
でもね。
主従の形を築きだしてわかったんです。
わたしと主様の関係は
宗教と同じかもしれない。
私にとって彼は先導者。
そして 私は
信者のように傾倒している。
傾倒って意味を調べたらね
【特定の崇拝対象者に心を捧げ、
その意向に無条件で従うこと。】
【心から敬い、重んじること。】
聖書も十字架も、
月々のお布施も
仏壇のりんごも饅頭もいらないけれど
主様は私の中で
神様仏様のような存在。
毎日 導かれることで
迷いの心が晴れていく。
明日という日を
希望を持って臨んでいける。
その一日一日が
人生の石段となり
【わたしの道】が築かれていく。
周りが聞くと
すごい 胡散臭い言葉の羅列だよね....(^-^;
導かれるだなんて
たいそうなコトのように聞こえるけれど
どうやれば楽に日々を暮らせるのかを
相談して、教えてもらってるだけなんだ。
依存とは違うような。
依存っていうのは
【それがなきゃ生きていけない。】
でも 私は
【それがあるから健やかに生きていける。】
ねっ?前向きでしょ(^^)
似てるようで、全然違う言葉なんだよ。
主従のことを 否定する方のほうが
多いと思うし、理解してもらおうと
するものでもないよね。
人が何を必要とするかなんて
それぞれ違うし
他人にはわからなくて当たり前。
自分の歩む道を信じて
前へ上へと進みながら
強くなっていくことが私の全てだから。
でも 誰しも
目に見えないものに頼ることってあると思う。
たまに神頼みとかするよね。
お守りを購入したり。
それは、自分のパワーの補充であり
安心や気の持ちようって人が殆ど。
でもお守りってね、
持っているだけじゃ
なんの意味もないみたい。
お守りを持つということは
神仏に対して
"願意を叶えるために努力をしますので、
その姿を見届けてください"
ということみたい。
まさに私の従心とおんなじ。
主様は私の心のお守りだから。
お墓参りだって、そう。
"ご先祖様のおかげです"っていう言葉も
ご先祖様がいつもお天道様で
見守ってくださっているおかげですっていう意味もある。
これも心のお護りだよね。
日常においても、この世界においても
よく感じるんだ。
私だけじゃなくて同じように、
生きることを 悩んでいる人が
たくさんいてる。
生きることってのは
生か死かの選択じゃないよ。
【日々を生きること。】
家庭のこと、将来のこと、仕事のこと、
恋愛のこと、病気のこと、お金のこと。
不安や葛藤、 怒りや恐怖を感じながら
自分と向き合って 自分探しをしていて。
時には自分に打ち勝ったり。
たまに打ち負けて 打ちひしがれたり。
新たな決意を打ち出したり。
もがいて
沈んで
吐き出して
奮い立たせて
また浮かび上がって。
みんな そうやって
今を懸命に生きている。
心のお護りってね、
自分自身を肯定する"軸"のことだから
悩みながらも自分で道を選んで進む人たちは
私からしたら 強い存在で憧れなんだ。
主に託して
従者として生きている私は
やっぱり心が弱い人間だから。
私も 自分の力を信じて
いつか”自分自身の導者となれるように。"
これが
今お守りを握りしめている 私の願意。
風が吹いても簡単には倒れない、
大きくて太い幹みたいなものを
心の中に育てていきたい。
明日という日も
穏やかな光が私の世界に射し込みますように。